建保二年(一二一四)、親鸞四二歳、恵信尼三三歳で、一家は関東に移住する。
この移住の理由は、おそらく親鸞の流罪勅免後、翌年に法然が没し、京都に戻る理由がなくなったこと、関東に法然の根本の弟子がいたこと、なかでも鎌倉時代に入り関東が新たなプロンティアとして注目されたことなどが上げられる。
画面は関東への旅の様子。