8.手紙を綴る恵信尼

正念寺:絵傳-8.手紙を綴る恵信尼

 「恵信尼文書」第三通から第六通は夫親鸞の訃報に接し、娘の覚信尼に送った書状類で、親鸞の比叡山での修行時代や、法然に帰依する経緯、関東での布教活動や宗教上の最も重要と思われるエピソードなど、これまで知られることのなかった親鸞と恵信尼の出来事が的確に綴られている。

 画面は、その中の第五通と第六通に記された寛喜三年の出来事を、恵信尼が書き綴っている様子を描いている。

寛喜三年四月四日、親鸞は風邪ぎみになり、夕方から看病人をも寄せつけず、ただ音もせずして臥していた。

八日目の明け方、苦しそうにしながら「まはさてあらん」といって元気になった。

親鸞はうなされ寝込んでいるあいだ「大無量寿経」をずっと読んでいたと語り、思いおこせば一七、八年前にも浄土三部経千部読誦を試み、念仏のほかに何もいらないと思い返して、それを止めたが、この期に及んでまた読誦するとは、自力の執心はなかなか抜け切らないものだとしみじみ語った。

恵信尼はこの出来事を、親鸞が長い苦闘のすえ自力の執心を捨て、他力に転入した証として、娘の覚信尼に伝えた。

 このような稀有の記録を綴っていた恵信尼は、その意味で親鸞、その人と思想の最もよき理解者であったと思われる。

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